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街的ということ

おはようございます。

雨の朝です。

今年の冬は太平洋側は雨が多いのではないか・・・ってことです。

多すぎて災害が起きませんよう。

■ 江 弘毅さんの『街的セミナーin大阪』を聴いて ■

街=外部です。

外部に出て他者とのコミュニケーションをもてないことは、救いようがない・・・。と。

高度成長期の日本において、作られたものが、核家族なのです。

何のために?消費共同体のひとつの装置が核家族かもしれない。

例えばシャンプーをとってみます。

これは赤ちゃん用の刺激も少ない香料も入っていないもの。この花のついたいい匂いのするものは娘のものだからお父さんは使ってはいけません。もし、うっかり使って、お父さんが歩いた後にいい匂いがした日には、娘は激怒するはず。『信じられなぁ~~い!!』

お父さんの大事な育毛成分が入った高いシャンプーをおじいちゃんが使ったら・・・。

ここでも親子喧嘩勃発です。

という具合に、個が消費の対象とされています。

今の子供達は当たり前に個室を与えられています。

誰かが、勝手に入ろうものなら鍵をかけられてしまいます。

昔の日本家屋は個がこもるような部屋はなかったんですよね。

オープン。

テレビだって、一家に一台でも大騒ぎだった頃があったことすら知らない子供達は自分用のTVがあったりして、遠慮することもなく、自由気まま。

だから、人に気を使うこともない。

家族だから使わなくてもいいのではないと思う。

最小のユニットの中であっても、気を使い思いやる気持ちはあったほうがいい。

個としていろんなユニットに属します。

町内会であったり、学校であったり、会社であったり・・。

家族のための家族による消費を軸とした共同体で、その軸が失われてきた。と、江さんは言われます。

まんまと便利という言葉に踊らされて、大事なものをなくしてしまったのかもしれません。

そんな中で、居場所のわからない人や子供が増えてきているのかもしれません。

『何故人を殺しちゃいけないのか』なんて馬鹿な質問する子まで出てくる。

それに対して理論こねくり回して説明したってわからない。

そこで頭をばぁ~んとはたく。

・・・痛い。

『痛いだろ。人を殺すということはこの何十倍、何百倍もだ。だから殺しちゃいけない。』と言えば、3分もかからず理解できるのではないだろうか。

体罰はいけない。

でも、痛みはわかったほうがいい。と私は思います。

痛みを知れば、抵抗できない人を寄ってたかってぼこぼこにしたりとか、されたらとっても傷つくようなことを平気で人にはしたりは出来ないと思います。

人を育てることが自分を育ててくれる。

子供を育ててみて強く感じます。子育てによっていろんな繋がりも広がってきました。

会社でも同じだと思っています。

・・・とても、表現しきれないし書ききれないのが残念です。

咀嚼しながらまた、書き込めたらと思っています。

今日はここまで。

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